死刑執行についての悩み

2018/10/18
 
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死刑執行に賛成か反対か。私はまだ、はっきりと胸を張って言える答えを出せずにいます。7/6と7/26の二日間で13名の元オウム真理教死刑囚の刑が執行されたことで、否が応でもこのことについて再度考えさせられます。まず間違いなく言えるのは死刑が執行されて、私自身がショックとダメージを受けたことです。消化しきれない気持ちが残り、この気持ちの正体は何なのか、どうしたらこの気持ちが消えるのか。私ができたことは、ただ、関連するニュースや情報を見ることでした。

 

そんなとき、7/29の中国新聞に掲載されていた辺見庸さんの特別寄稿「この国では祝祭にも似て」を読んで、畏れ多いですが気持ちを代弁されたもしくは整理されたようで、不快な気持ちが安心感に変えられました。

最も共感を覚えた部分は、

ひとはひとを、組織または国家の名のもとに、なぜ平気で殺すことができるのか。なぜ殺さずにはいられないのか。国家による殺りくならば正当化されるとでもいうのか。

国家による殺りく。これを許すのか許さないのか。乱暴に言えば死刑執行も殺人です。例えものすごい凶悪犯罪者だとしても、更生の見込みはないとしても、人間が人間を、正当に、殺すということがあり得るのか。。気持ちではNOと言いたい、死刑執行には反対と言いたいです。でも、もし自分が被害者だったら、被害者の家族だったら…被害者や被害者の悲しい声を聞いたら…。それでも反対と本当に言えますか?と問われたら怖気付いてしまう。

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